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にわとりの命と、卵の安定供給に365日向き合う農場長のお仕事。

株式会社横浜ファーム 君津農場×
株式会社横浜ファーム 下妻農場×
有限会社高津農場

メンバー

  • 株式会社横浜ファーム 君津農場

    笠原さん

    株式会社横浜ファーム君津農場 農場長。房総半島の中央に位置し、恵まれた自然環境の中で高品質なたまごを生産している。

  • 株式会社横浜ファーム 下妻農場

    奥村さん

    株式会社横浜ファーム下妻農場 農場長。茨城県にあるこの農場では、使用電力を抑えた鶏糞乾燥システムを導入するなど環境憂慮型農場を目指している。

  • 有限会社高津農場

    上野さん

    有限会社高津農場 農場長。グループ内で一番大きく新しい農場で、業界の最新設備を導入し、にわとりが健康な卵を産む環境を整えている。

農場長それぞれのバックグラウンドや
八千代ポートリーの歴史のおはなし。

Q.みなさんについて教えてください。

奥村さん

私は下妻農場の初期から携わっていて、農場長になって15年目になります。
父が営んでいた養鶏場が横浜ファームと統合して下妻農場になり、それから私が農場長になりました。

上野さん

私はまだ農場長としては3年目です。
前職は育種改良した鶏(種鶏)を供給する会社で、技術系の仕事をしていました。その前は鶏舎の設備系関連の仕事も経験しましたね。横浜ファームには高津農場の開場に合わせて入社をしました。
横浜ファーム入社のきっかけはまだ社会人になる前、海外の留学先で八千代ポートリーの社長と出会っていたこと。それから何年も経って社長から高津農場の開場の話を聞き、高津の地で農場長に挑戦することを決めました。

笠原さん

お二人が農場長をされている下妻・高津農場の立ち上げには、私も関わりました。なので、初期からよく知っています。
私は君津農場の農場長を担いながら、横浜ファームの役員をしています。
八千代ポートリーで6年ほど働いてから、君津農場へ異動して17年ほどになります。

奥村さん

笠原さんは、お父様が八千代ポートリーの相談役だから、八千代ポートリーの歴史もよく知っていますよね。

笠原さん

そうですね。八千代ポートリーの始まりは、私の祖父が1929年に横浜で始めた養鶏。近所の養鶏場で養鶏を習ったことがきっかけでした。
当時は卵が高級品で貴重だった時代。主な客層は横浜の元町に住む外国人でした。横浜の人口がどんどん増えていき、環境面で養鶏事業が難しくなったので、1970年に千葉の君津に移転をしたそうです。
だから、千葉にあっても“横浜ファーム”の名前が残っているんですよ。そして君津農場もどんどん事業を拡大していき、2009年に下妻農場、当時の奥村さんのお父様の農場を取得しました。
そしてここ数年、高津農場も前オーナーが辞めるということで、八千代ポートリーグループが引き継ぐことになったという経緯です。

365日、にわとりのお世話をする養鶏場。
農場長の仕事は多岐にわたります。

Q.農場長の仕事とは?

奥村さん

にわとりは365日休まず卵を産むので、従業員とローテーションで養鶏場を管理しています。
私たち農場長の仕事は、にわとりの世話・集卵・パッキング、肥料の製品化、といった養鶏場の仕事全体を見ること。それはお二人の農場でも変わらないですよね。

上野さん

私のいる高津農場もほとんど同じです。
すこし違うのは、新しくできた養鶏場なので機械化が進んでいることですかね。従業員数はほぼ同じですが、にわとりの数はかなり違いますよね。

笠原さん

君津農場が約70万羽、下妻が約80万羽、高津が約100万羽、という感じですよね。

上野さん

たくさんのにわとりを育てていくために、人手が足りていません。なので、軽作業は機械に任せる必要があります。特定技能外国人の方の力を借りることも大切。
特定技能外国人の受け入れを始めたときは、日本語に慣れていない相手に対して仕事を教えたり、社宅アパートの使い方やゴミの捨て方など細かい文化の違いに苦労しましたが、みんな真面目に仕事をしてくれますし、最近では特定技能外国人をまとめるような子も出てきたので助かっています。
本当に楽になりました。私も社内の掲示板に貼り出すものを多言語にするなど、特定技能外国人の人たちが働きやすいように努めています。

奥村さん

うちにも特別技能生がいます。本当に従業員一人ひとりの負担が軽くなるので、助かりますよね。
ところで、笠原さんは横浜ファームの役員も兼務されているから、業務はもっと多岐に渡りますよね。

笠原さん

そうですね。生産者団体の活動に参加したり、地域の農場祭りに参加したりと、対外的な業務も多いです。たとえば日本養鶏協会の活動でいうと、大小様々な生産者が集まるのですが、養鶏のルールについて国へ意見を陳情したりなど。
また、地域活動への参加については、それぞれの農場がそれぞれの地域で養鶏を営んでいるので、地域貢献の想いもあります。地元の方との交流を通して、地元と密着して良い関係性を作っていくことが、農業を担う私たちにとっては特に重要だと思っています。

自然の脅威にも直面しても、奔走する。
にわとりの命のために、卵の安定供給のために。

Q.大変だったことは?

上野さん

奥村さんの下妻農場は、東日本大震災の被害を受けていますよね。

奥村さん

はい、あの時は偶然笠原さんも出張で下妻に来ていましたよね。いやぁ、大変でしたね。

笠原さん

本当に大変でしたね。私は地震が起きたとき、一人で農場を離れ車で茨城を周っていて、「そろそろ農場へ戻ろうか」というタイミングでした。地震の瞬間、農場はどんな状況でしたか?

奥村さん

その時期はまだ下妻農場は建設途中の状態で、卵を生産しながら、養鶏場の建設が進められているタイミングでした。
鶏舎は6棟まで完成していて、にわとりの飼育や卵の生産も始まっていましたね。急に地面が揺らいで、エサを補給する大きなタンクが倒れる音がしました。
揺れがおさまってすぐに、現場確認・生存確認をしました。幸いにも、従業員もにわとりもみんな無事でした。工事業者さんも、ギリギリ倒れたタンクの下敷きにならずに済んだ。
無事だった人にはすぐに帰ってもらい、戻ってきた笠原さんと私と数名の従業員と業者さんが残りました。それから、電気も電波もないし、お腹もへったねってなって。

笠原さん

業者さんのだるまストーブで、夜中にお湯を沸かしてカップラーメンを食べましたね。

奥村さん

そうそう、それで車に戻ってテレビをつけて、初めて震災の大きさを知りました。
笠原さんに「今日は帰らないでくれ」って必死にお願いしましたね(笑)そのあと停電が1日以上続いたので、非常用発電機でなんとか乗り越えました。ただあくまで非常用なので、数時間おきにチェックして燃料を入れたり、燃料を買いに行ったり。

ガソリンも足りなくて。とにかく必死で、ずっとバタバタしていましたね。そんな状況でも、にわとりは卵を産むんですよ。だから手作業でひたすら卵を集めて運んで…。集め終わったらまた産んでいるから集めての繰り返し。
だけど物流会社さんも大変なときなのにどんどん卵を運んでくれたんです。もちろん卵の仕分けをする余裕もなかったけど、八千代ポートリーが卵のブランドやサイズ関係なくパック詰めして販売してくれました。

エサの会社さんが津波で浸水してしまったので、「今ここにあるエサを使うしかない」となったのですが、翌日には工事業者さんがエサのタンクを直してくれましたね。たくさんの協力でなんとか復旧することができ、卵の供給もすぐに開始できました。

上野さん

休む間もなく何日も奔走されていた様子が目に浮かびます。

笠原さんの君津農場も、数年前に大きな台風被害を受けたと聞いています。千葉を直撃した台風は被害も大きく、ニュースで町の様子が何日も流れていましたよね。

笠原さん

2019年の9月頃ですね。夜中に台風が急接近しました。
心配で朝早く家を出たんですけど、倒木がひどくて農場へ辿り着けず。近所の人が木を伐採してくれて、ようやく数時間後に農場に到着すると、潰れていた建物がありました。
その建物は鶏糞を保管する倉庫だったのでにわとりに被害はありませんでしたが、壁がなくなっているものや、屋根が飛んでしまった建物もありました。
なにより大変だったのは停電ですね。このときは4日以上も続きました。

奥村さん

社内のチャットにリアルタイムで状況が伝えられました。
下妻農場は震災の経験があったから「発電機の燃料が必要になるだろう」と燃料を持って行こうとしたんですが、道路が倒木で寸断さていて届けられませんでした。震災時の1日半の停電でも大変だったのに、4日間だなんて本当に大変でしたよね。

笠原さん

まだ暑い時期だったので、鶏舎にいるにわとりたちは空気の循環がないと自分たちの体温で熱中症になってしまう。なので、換気扇が動いてないと絶対ダメなんです。にわとりが生きられるように、ほぼ寝ずに非常用発電機に燃料を入れ続けて…。
2日後には八千代ポートリーが委託した大きな発電機を届けてもらい、なんとかパッキングができる状態まで戻しました。当時一緒にいた従業員たちや、グループ会社の力も借りて一丸となって乗り越えましたね。

東日本大震災時の下妻農場の様子

未来はどうなるか、誰にもわからない。
だけどみんなの幸せのために、私たちにできることはある。

Q.今後の目標は?

奥村さん

震災を経験してより一層思うようになったのは、毎日が何もなく終わることです。
一番は、人にもにわとりにも事故が起きないことですね。

上野さん

本当に、怪我をしないことが最優先ですよね。
卵を生産する者として卵の安定供給だったり、生き物を扱う者として防疫管理だったり、そういうことも大切です。ですが、やっぱり人やにわとりが健康でいることが一番です。

笠原さん

そうですね。私は働いている方が、みんなそれぞれ幸せになってほしいと思っています。
“幸せ”には、例えばお金がいっぱいもらえるとか、時間に余裕があるとか、人によって色々ありますが、そもそも毎日怪我なく健康でないと成り立たないですから。
それと、みんなの幸せのために会社が安定して成長していかないといけないですよね。

上野さん

本当にその通りです。高津農場は立ち上げて数年なので、まだまだ安定稼働が目標です。
そのために、若手の育成に積極的に取り組んでいます。
部署ごとに業務は異なりますが、すべての部署(業務)は繋がっている。なので、縦割りで考えずに所属部署以外のことでも自分ごととして考えられるようになってほしい。 卵をつくるためにかかるコストを知って、改善点を見つけられるようになるとか。
それと、若手と一緒に私も成長していきたいです。私もまだまだわからないことだらけなので。

笠原さん

会社としても、人材教育にはかなり力を入れています。
特に農場長を担える人材を育てるには、少なくとも10年は経験が必要ですから。横浜ファームとして、若手が色んなことに挑戦できるような環境を作る、基礎づくりが重要だと考えています。

奥村さん

そうですね、私は定年退職も近いので、部下育成をより一層強化しています。
今いる従業員はみんなそれぞれ個性があるので、それぞれの成長をしていってほしいです。私自身も結果として農場長をやっているけれど、未来はどうなるか、誰にもわからない。だから私は、部下を信用して、想いを託していきたいなと思っています。

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